2018/08/31 discrete figures

 私が真鍋大度さんのことを知ったのは中学生の時の事であった。当時ハマっていたやくしまるえつこのMVフルバージョンがYouTube MUSIC WEEKの企画で無料で配信されていたため、全作を何度も何度も見たのを覚えている。そのMVのうちの多くの作品の監督を務めていたのが、真鍋大度であった。私はそのMVの演出が大好きであったため、彼の名前もすぐに覚えた。その後も度々テレビでPerfumeの演出やリオオリンピックの閉会式を見る中で、真鍋さんへの憧れは大きくなっていった。

 いつか彼が代表を勤めるRhizomatiksの技術を生で体感してみたい。その願いを今日、叶えることができた。

 

 

discrete figures

ELEVENPLAY×Rhizomatiks Research×Kyle McDonald

場所:スパイラルホール

日付:2018/08/31(金)

 

 

 カイル・マクドナルドの協力のもと、ELEVENPLAYのダンスとRhizomatiks researchのメディアテクノロジーを融合させたステージがこの公演「discrete figures」である。

 真っ暗闇の中から始まったこのステージ、高度なテクノロジーの数々による演出とともに、5人の女性ダンサーが華麗に舞う。その演出の中でも特に驚いたのが、リアルタイムでのARによる演出である。ステージ上に現れたカメラマンが撮影する映像がステージ背面のスクリーンに写されるのだが、その映像にはダンサーの手足や小道具をなぞるように演出がされていたり、現実ではいない場所で仮想のダンサーが踊っているなど、高度なAR技術が使われていた。一体どのようにその映像が作られているのか、私にもいつかは分かるようになるのだろうか。

 ダンスも演出も素晴らしかったが、私は音楽もまた素晴らしいと感じた。音楽がステージの雰囲気を効果的に表現していた。公演中のBGMだけでなく、公演前後のBGMも変化がある音楽で面白みがあった。

 

 感動とともに、刺激を受けた今回の公演。少しでもこの技術力に近づけるようにコツコツと努力をしなければいけないとひしひしと感じた。

2018/08/30 ルーヴル美術館展

  私の多々ある夢の一つは、ヨーロッパ旅行に行くことである。イタリアの本場オペラにドイツ・オーストリアの有名オーケストラの生演奏、ギリシャアテネを始めとした歴史的建造物の数々、どれも外せない。そしてもしフランスに行くことになったならば、私は迷いなくルーヴルやオルセーなどの美術館に向かうだろう。

 そして今日訪れたのは、パリのルーヴル美術館のコレクションの一部を集めた企画展「ルーヴル美術館展」である。

 

 

ルーヴル美術館

肖像芸術―人は人をどう表現してきたか

 

場所:国立新美術館

訪問日:2018/08/30(木)

 

 

 「ルーヴル美術館展」の広告を見かけてから、早三か月。気が付けば会期は残り4日になってしまっていた。この夏休みの目標の一つは、「世界史と美術史の本を読了してからルーヴル美術館展に行く」ことであったのだが、世界史の本は大変分厚く、読み終えるころには夏休みも終わってしまいそうであったため、本の読了を待たずにルーヴル美術館展に訪れてしまうことにした。

 国立新美術館に訪れるのは、中学の美術の課題で訪れた「オルセー美術館展」以来、実に4年ぶりの事であった。あの時と同じわくわくした気持ちを持って館内へ。平日昼間であるというのに、思っていたよりも人が多いことには驚いた。ちょうど同時開催されている「荒木飛呂彦原画展」のチケットを持つ人も多々見られた。

 

 この企画展のテーマは「肖像芸術」。人の姿を捉えた彫刻作品や絵画作品が数多く展示されていた。その製作時期は紀元前から19世紀までに至り、古いものでは古代文明の石碑の彫刻などもあった。

 なぜその作品の人物は形として残されているのか、なぜその作品はそのような姿、構図、技法で作られたのか。その2点がこの展覧会の企画者が伝えようとしたことであるのではないかと、私は感じた。亡くなった人物を神にみたてて作られた石像、細かな装飾や髭が荘厳に表現された古代皇帝の胸像、貴族の女性を可憐に描いた絵画。それぞれの作品の裏に隠されたエピソードが、その作品の表現方法から想像された。

 私が最も気になった点は、視線の向きである。正面を向いているものもあればどこか違う方向を向くものもあった。近代になるにつれて正面を向く作品が増えていたのだが、これにはどのような意味があるのだろうか。現代の人物写真においての視線の方向についても今後は注目してみたいと感じた。

 

 私が気に入った作品が2点ある。一つはフランリェスコ・マリア・スキアッフィーノ《リシュリュー公爵ルイ・フランソワ・アルマン・デュ・プレシ》(1748)。写真では伝わりにくいかもしれないが、下から見上げるとその威厳ある立ち姿に圧倒される。服のしわや髪の毛のうねりの細密さは非常に素晴らしかった。

 File:Richelieu Schiaffino Louvre LP455.jpg

 

 2点目はエリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン《エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像》(1796)。思わず見惚れてしまうほどに可愛らしく描かれた肖像画である。ここまで人間的な温かさを感じる肖像画はなかなか見たことがない。

 

 肖像芸術の数々を見る中で、人を表現するためにはその目的によってその表現方法も異なるものなのだと感じた。この先、自分の写真を撮影されることもあると思われるが、その時に私は私をどのように表現してもらおうか、非常に考えものである。

 

 この美術展に行ってから後悔したことが一つある。それは、やはり先に世界史の本を読了すればよかったということだ。肖像芸術がテーマということだけあって、歴史上の人物を表した作品も多かった。世界史をしっかり学んだうえで行ったのならば、また違う目線で楽しむことができたに違いない。

 次に美術展に行く時には、世界史も美術史も学び終えていたいものである。